・演技について→3、声→普段「棒読み」で喋る人はいない

演技について・はじめにの項でも触れましたが、棒読みについてもう少し補足したいと思います。

棒読みとは、ボクシングで言えば拳に力も込めず、腰をひねることもなく、ただ右手を前に突き出すということです。
剣術で言えば刀を大上段に構えて隙だらけのまま「やー」「とー」とか叫んでる状態です。

つまり、棒読みとは「ごっこ」です。
子どもの遊びにある「ヒーローごっこ」とか「決闘ごっこ」とかと理屈は同じです。「演技ごっこ」にはなっても、演技そのものになることは決してありません。


普段棒読みで喋る人間はまずいません。
棒読みとは、音読です。声の五要素を変化させず、ただそこに書いてあることを音にするだけの行為です。

当たり前のことですが、私たちは殴られたら怒ったり悲しんだり疑問を抱いたりと、人によってリアクションは違うものの何らかの感情を抱きます。
その感情を言葉にしたら、当然音読にはなりません。台詞は書いてある文字ではなく、心を言葉に変換したものだからです。


さて、では実際に一つ台詞を言ってみましょう。

「昨日は楽しかったね」

パターンがあります。

1,とてもとても楽しそうに言う。
2,皮肉混じりに言う。
3,普通に、平坦に言う。
4,穏やかに、しんみりと言う。
5,感情を押し殺したような声で言う。
6,探るように言う。
7,棒読み。

いくらでも出てきますが、とりあえずこの辺で。
1は、多分100人にこの台詞を言わせたら一番多い言い方じゃないかと思います。
「楽しかった」というキーワードに反応して楽しそうに言う。間違いじゃないですが、ありきたりです。そして、実際日常生活でこの台詞を言うとき、とてもとても楽しそうに言うパターンはあまりないのではないかと思います。

例えばあなたが女性で、昨日仲の良い女友達同士で遊園地に行って、とてもとても楽しかったとします。
いい感じで解散して、気分良く床につく……年に何度もないような素晴らしい日だったとします。次の日、友人と会ったあなたは思わず昨日の素晴らしさを思い返して言います。

「昨日は楽しかったね!」


まあ、こういうパターンです。
2は、例えばあなたが女性で、昨日おめかししてデートに出かけたのに、相手の男がジャージだわ気は利かないわケチだわディナーは吉野家だわで散々な思いをしたとします。
次の日、たっぷりの皮肉と共に言うのです。

「昨日は楽しかったねぇ」


3は、気心の知れた友人と昨日普通に遊んで普通に楽しくて、次の日会ったとき話題の始まりとしてそういえば……という感じで切り出します。

「昨日は楽しかったねー」


4は、友達以上恋人未満の二人が昨日デートをして、お互い少しずつ歩み寄りながら最後には手を繋いで歩くような関係になって解散したとします。次の日、出会った二人はなんだか気恥ずかしさを感じながらもさりげなく昨日のことを思い返してにやけながら言い合います。

「昨日は、楽しかったね」


5は、病気で余命幾ばくもなく入院している親友が、最後の願いとして昔行った公園で一緒に紅葉を見たいと言ったとして、その願いを昨日叶えようと無断で病院を抜け出し半日を過ごしたとします。翌日、命の灯火がいよいよ消えようとしながら、それでも微笑み続ける親友を見て、あなたはなんでもないような話題として昨日のことを言おうと思っているのに、たまらない気持ちになってつぶやく格好になります。

「昨日は……楽しかったね」


6は、曖昧な関係のボーイフレンドと昨日デートをして、友達のように楽しく過ごした次の日、相手は自分をどう思ってるんだろうというのを試すように投げかけます。

「昨日は、楽しかったね?」


7は、2と同じシチュエーションです。皮肉の意味を込めて、でも敢えて抑揚を付けずに。

「きのうはたのしかったねえ」




とまあ、一つの台詞でもシチュエーションによってとてもたくさんの言い回しがあります。
棒読みも、一つのバリエーションとして使うことはできます。意図して棒読みになるのは演技です。

大切なのは、台詞を正確に読むことではなく、台詞に込められた感情を正確に表現することです。


心。
これです。台詞を口にする者は、いついかなるときでも台詞には必ず感情が伴う……いや、感情から台詞が生まれるのだということを忘れてはいけません。


普段棒読みで喋る人はいません。
それは、私たちが台詞をベースに喋っているからではなく、感情をベースに喋っているからです。


ひとまずここまで声の演技について書いてきましたが、技術に溺れる人はいかに台詞をうまく言うかということにとらわれがちです。
感情があって、この感情を表すのにどうしても今の実力じゃ敵わない……そんなとき、ここに書いたような五要素をはじめとした技術が必要になるのです。